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世界総会安息日説教(201073日)

 「前進せよ」

世界総会総理 テッドN.C.ウィルソン

序論

お早うございます、キリストにある兄弟姉妹方!第59回世界総会の最後の安息日の朝に、若者、高齢者、女性、男性、また子供が神の家族として皆一緒に礼拝できるとは、何という特権でしょうか。主が今週、主の教会を沢山の方法で導いて下さったことを感謝します。私たちはすべての栄光を主に帰します。

セブンスデー・アドベンチスト教会は天国を目指した旅をしており、私たちはほとんど家に着いています。私はイエスが間もなくお出でになることを心から信じています!私たちはそれをすべての言語で言います。・・・「イエス レビエン ビエント」(フランス語)「ヘスス ビエンネ プロント」(スペイン語)「ブレベ イエス ボルタラ」(ポルトガル語)「イエス-ス プリジット スコーラ」(ロシア語)「エイス アナクジャ キャリブニ サナ」(スワヒリ語)「エスニム コッド オシムニダ」(韓国語)「エス チャイライ」(中国語)「イエス ジェルディ アイガ」(ヒンズー語)「シ ヘスース アイ マラピット ナン ドゥマティング」(タガログ語)「ハ アナ アティ セリアン」(アラビア語)「イエズ-ス コムントゥ バルトゥ」(ドイツ語)・・・さらに、世界の多数の言語があります。

私は、世界中の私たちの信仰の家族の素晴らしい意気込みと熱心さに感謝しています。そして、私たちは私たちのそれぞれの国家や文化を誇りにしながら、私たちを一緒に束ね、またすべてのものに取って代わるキリストの文化があるということで、主を賛美します。そういう精神のもとで、今日、私が分かち合うメッセージをはっきりと聞いていただき、メッセンジャー(使命者)が高められることがないように、私は謙虚に皆様方のお祈りをお願いします。最後に、もし皆さんが(私の説教の中で)同意される特別なことがあれば、拍手の代わりに、心からの「アーメン」で応答して下さい。共にする私たちの時間の中心がメッセンジャーでなく、メッセージ(使命)であるための皆さんのお助けを感謝します。

混乱の世界、堅固なみ言葉

キリストの来臨の兆は、日々頻度と強度を増しています。自然界における破壊的事件、世界政治の大混乱、広がる教会合同の妥協的な活動、心霊術の驚くべき増加と影響、世界経済の悪化、社会と家庭の価値観の崩壊、神の聖なる御言葉と十戒の絶対的権威への不信、蔓延する犯罪と道徳の腐敗、戦争と戦争のうわさ、等々。すべては、地上歴史のクライマックスと、最後の家路にある私たちを天国へ連れて行くための主の来臨とを、間違いなく指し示しています。

私たちの周囲の世界の不確かさの真っただ中にあってさえ、変わることのない神の言葉の中に、絶対的確信を持って安らぐことができることを知ることは、何という大いなる祝福でしょうか!人間の歴史の過程を通して、また無慈悲なサタンの攻撃に対して、神は神の御言葉を保存されて来られました。聖書は、私たちの起源、私たちの救済、そしてやがて来るべき私たちの解放の栄光的序章について、正確な記録を含んでいます。セブンスデー・アドベンチストとして、私たちは聖書をすべての私たちの信条の土台として受け入れ、また私たちの特殊な預言的独自性と宣教をそのページの中に見ています。

アドベンチストの独自性と宣教

神はセブンスデー・アドベンチスト教会を、神の真理の力を持って混乱の世界から取り出されました。私たちは、キリスト、キリストの義、黙示録14章のキリストの三天使の使命、そしてキリストの速やかな来臨を高く掲げる特別な民、神の残りの民であるべきです。地上歴史の最後の時代に生きる聖書を信じるクリスチャンとして、私たちは、使徒ペテロが「選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである」(1ペテロ29)と呼んだ通りであるべきです。黙示録1217節に「神の戒めを守り、イエスのあかしを持っている者」として認められている神の残りの民として、私たちは希望のユニークなメッセージと世界に神の恵みを宣べ伝えるための命令を持っています。『教会への証』第7巻の中に、「セブンスデー・アドベンチストは、神によって特別な民として、世から分けられて選ばれている。・・・神は、彼らを神の代表者とされ、彼らを救いの最後の働きの中において神の大使に召しておられる」(『教会への証』第7138ページ、英文、私訳)とあります。

安息日

神の最後の時代の民の特徴を見極める一つは、神の教会の会員が、主の聖なる安息日を覚えるために私たちを召している第四条を含む神の戒めの十戒を全部受け入れ、信じるという事実であります。神が聖として取っておかれなかった日を聖として守ることを代表する獣の印を持つ人々と対比して、安息日の順守は、当初の神の創造性の印a sign)であるばかりではなく、最後の時代における神の民の印THE signとなるでしょう。

 

安息日と三天使の使命

安息日とその意義は、黙示録14章の中にある三天使の使命のそれぞれに関係しています。第一天使は、「永遠の福音を持ち」―キリストの義―「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。天と地と海と水の源とを造られたかたを、伏し拝め」(黙示録1467と宣言します。神は創造者であり、神のみ言葉と創造的力への私たちの忠誠の印としての神の安息日に礼拝されるべきです。8節の中で第二天使は、「倒れた、大いなるバビロンは倒れた。その不品行に対する激しい怒りのぶどう酒を、あらゆる国民に飲ませた者」と宣言しています。

彼女は神の戒めを改悪して、神の創造性の唯一の真の印である第7日目安息日以外の他の礼拝日を制度化しました。第三天使は912節の中で、「おおよそ、獣とその像とを拝み、額や手に刻印を受ける者、」彼または彼女は、火と硫黄とで苦しめられ滅ぼされると発表しています。もしあなたが獣とその像とを拝むならば、あなたは神が神の忠誠のテストとして宣言しておられるその印(THE sign)、第7日目安息日を拒否しているのです

救い

第三天使は、12節の中で神の民を「神の戒めを守り、イエスを信じる信仰を持ちつづける」人々と同一視することによって、彼の宣言を閉じています。私たちは、イエスに、またイエスとの関係に私たちの救いを全的に依存しています。私たちは働きを通してではなく、私たちが宣言しているキリストの恵みを通して救いを得るのです。恵みは神の赦しの約束であり、神の力―義認と聖化―の供給です。あなたはキリストがあなたのために(FOR)なさっておられること(あなたがあたかも罪を犯さなかったかのようにあなたを日々義としておられること)をキリストがあなたの中で(IN)なさっておられること(あなたがキリストに献身する時にあなたを日々聖化されておられること、また益々イエスに似てくるようにあなたの生活が変えるための聖霊の働きをお許しになられること)から分割することはできないのです。

これは、第一天使の中で語られている永遠の福音です。これは信仰による義です。これが、セブンスデー・アドベンチストが神の恵みを宣言することにおいて、最も力強い声であるべき理由です!大争闘のテーマは、結局は、罪人を救う、また神の力を通して彼らを神の息子と娘、即ち私たちの信仰の創始者であり完成者であるイエスと生ける繋がりを通して聖霊の熱意を持って、三天使の使命を宣言する忠実な証人に改変する神の恵みです。

十字架上でのイエス・キリストの贖いの血と、天の聖所でのイエス・キリストの贖いの奉仕は、ただ一つの目的を持っています、即ちすべての悔い改めた罪人の救いです。このように、キリストの贖いの犠牲と大祭司の奉仕を通して、私たちは「あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づ」くことができるのです。(ヘブル416私たちは、この驚くべき、力強い、贖いの恵みを、罪に病む世界に宣言するために召されているのです。

さらに、神の恵みの深さについての真の認識のみが、自己赦免または自己信頼の相反する極端のすべての土壌を除去することができるのです。あの素晴らしい本、『キリストへの道』は次のように説明しています。「私ども自身のうちには、なんら誇るところはなく、自己賞揚のなんの根拠もありません。私どもの唯一の希望は、キリストの義が私どもに被せられることで、それは、私どものうちに働き、私どもを通して働いてくださる聖霊の働きによるほかはないのであります。」(『キリストへの道』66ページ)この引用の前後の素晴らしいページを、信仰による義についての明白な考察のために読んでください。

預言の霊

さて、黙示録1217節と、神の残りの民についてのもう一つの大きな際だった特徴に戻りましょう。彼らは「イエス・キリストのあかしを持つ」であろうとあります。黙示録1910節は、「イエスのあかしは預言の霊である」と私たちに告げています。過去の聖なる人々を感動させた同じ霊は、この最後の時代に、主のためのメッセンジャーを再び起こされています。セブンスデー・アドベンチスト教会の兄弟姉妹たち、主は預言の霊の著書の中に、おそらく最も偉大な賜物の一つを私たちに与えておられます。聖書が時代遅れや不適切でないのと全く同様に、神の終末のメッセンジャーのあかしもそうです。神は聖書、預言、健康、教育、関係、宣教、家庭、そのほか多くの主題について、霊感を受けた洞察を提供するために、エレンGホワイトを謙虚なしもべとして用いられました。預言の霊を読み、預言の霊に従い、そして預言の霊を紹介しましょう。エレン・ホワイトが、彼女が他のどれよりも配布したかったと述べた本、『各時代の大争闘』を含む、紹介すべき沢山の素晴らしい本があります。この国、また他の国々において、真理を紹介することを私たちに許している宗教的自由のゆえに主に感謝しましょう。預言の霊は、神の終末時代の残りの民についての際立った特徴の一つであり、そしてそれは天国から私たちに与えられたがゆえに、これまでと同様に今日にも全く同じように適用できるのです。神の忠実な残りの民として、エレンGホワイトの著書の中で私たちに与えられている尊い光を、決して私たちが効果なきものにしないようにしましょう。

キリストのような謙遜

残りの教会また残りの民である私たちは、私たちがこの言葉を使う時、決して自己中心、排他的方法でそれを使ってはならないのです。私たちは、私たちの救い主イエスの完全な必要を認める、またこの力強い再臨運動に私たちを召しておられるイエスを賛美する、地上で最も謙遜な民であるべきです。この再臨運動は、謙遜で、純朴な人々、単純ではなく、純朴な人々によってなされています。神の民の多くは教育を受け、訓練を受け、知識があるが、しかしなお私たちは純朴な人々であるべきです。私たちの救い主は驚くべき権威で語られましたが、なお最悪の罪人たちに訴えるに十分なほどに謙遜でありました。この教会は単なるもう一つの教派ではなく、それはイエスの謙遜の中で継続して前進しなければならない、世界への伝道使命を持ったユニークな、天国で始まった運動です。世界は、キリストのようである人々からキリストのメッセージを聞く必要があります。私たちがキリストの恵みによって改変される時に、私たちは説教し、教育し、そして謙遜で、愛のある、快活な態度で、聖書と預言の霊からの率直なメッセージを証言するでありましょう。

 私たちが全的謙遜の中で、私たちの主の永遠のみ腕に完全に寄りかかる時に、主は私たちを通して、死につつある世界へ憐みの最後のメッセージを与えるために、力強い方法で働かれるでありましょう。この働きの完遂における私たちの成功は、神の御言葉と聖霊の導きへの私たちの従順にかかっています。それは、私たち自身を私たちの創造者の前に謙遜にすること、またイエスが私たちをご支配し私たちの罪に勝利されるために、自己を否定することにかかっています。それは、私たちが個人的に、また教会として団体的に、後の雨の聖霊の降下へ導くリバイバルと改革を私たちの生活の中で、謙遜に求める用意があるか否かにかかっています。

 ホワイト夫人は、教会への証第8巻の中で、「何が起こったのか」という見出しで、一つの幻を記録されています。(『教会への証』第8104106ページ、英文)彼女は、1901年の世界総会会議で、神が二つの大きな事をすることを望んでおられたことを見ました。1.私たちが今日持っているようなほとんどの構造を、私たちに与えることになった教会に再組織すること。 2.教会内に不信仰があり、また神の指導者たちと人々が神の前に謙遜にならかかったために起こらなかった聖霊の降下を提供すること。教会は後の雨を受ける機会を逸しました。それは、109年前のことでありました。後の雨が始まりイエスが再臨できるように、神をこれ以上待たせないようにしましょう。

その経験のために私たちは熱心に祈る必要があります。私たちはそれをこの総会中にしているし、また私たちがここを去る後も、私たちの生活の中で主のみ心を熱心に求め続けなければなりません。ホワイト夫人は、「私たちの中の真の敬虔のリバイバルは、私たちのすべての必要の中で最大で、最も緊急である」(『セレクテッドメッセージ』第1121ページ、英文、私訳)と明らかにしています。この世界総会の会議中に何度も、あなた方はリバイバルと改革、聖霊と後の雨を求めて嘆願しています。兄弟姉妹方、その時です・・・主は間もなく来られます!主は、主の残りの教会を最も力強い方法で用いることを望んでおられます。

 主は私たちに中に、主ご自身のご品性を再現することを望んでおられます。これは、私たちが毎日、私たち自身を主に捧げる時に実現できます。パウロがピリピ人への手紙25節の中で言っているように、「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。」私たちが日々キリストに繋がり、またキリストに私たちを通して働くことを許す時に、主の恵みを宣べ伝え、主の来臨を早めるために、私たちは聖霊によって用いられるでありましょう。私たちが神の恵みを宣言する時に、これは再臨運動であり、召された民であり、残りの教会であり、運命の民であり、天国への旅路にある民であることを覚えましょう。

『キリストの実物教訓』の本の中に、キリストの民へのキリストの願いが書かれてあります。「キリストは切なる願いを持って、キリストの教会の中にキリスト自身の顕現を待っておられる。キリストのご品性がキリストの民の中に完全に再現される時に、その時にキリストはキリストのものとして彼らを要求するためにお出でになるであろう。私たちの主イエス・キリストの来臨を待っているばかりでなく、早めることは、すべてのクリスチャンの特権である。もし、キリストの名前を告白するすべての者が、キリストの栄光のために実を結んできたならば、どんなにか早く全世界は福音の種を蒔かれていたことであろうか。最後の大収穫物は速やかに熟し、そしてキリストはその尊い穀物を集めるためにお出でになるであろう。」(『キリストの実物教訓』英文69ページ、私訳)

エジプトから出るイスラエル

旧約聖書の中で、神はメッセージと運命を持つ独特の民を召されました。彼らは、信仰の旅路を行くために、また神にある彼らの信頼によって神の恵みを世界に宣言するために召されました。イスラエルの子孫はエジプトに400年の間住み、エジプト人への奴隷であることに終わりを遂げました。私は約8歳までエジプトで育ちました。カイロが私の所在地でした。・・・私は中東以外の世界についてはほんの少ししか知りませんでした。そこは、素晴らしい所で、素晴らしい人々で一杯でした。しかし、古代においては、イスラエルはエジプトの奴隷でありました。神がモーセ、アロン、そしてミリアムを奇跡的に用いて、神は神の民を旅路、・・・世界への宣教の旅路のために解放されました。最後の、そして10番目の災いの後に、イスラエルの子らは、エジプトから南を目指す旅路へと出発しました。

 出エジプト記1321節には、「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、・・・」とあります。何という素晴らしい神でありましょうか。・・・神は、私たちを昼も夜も導かれます!主は、彼らをエジプトの砂漠の隣の紅海の西岸に導かれました。142節には、「ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させ」るための場所に彼らを導かれたとあります。エジプトでほぼ15年間過ごした私の父は、この場所が『人類のあけぼの』の中で描写されているような場所であると知っており、彼はそう感じています。そこは、神がエジプト人に対して神の力を発揮された場所です。ある聖書学者は、イスラエルの子らは腰までの深さのアシの海であった場所の紅海を渡ったと考えています。それでは、神にとって神の力を発揮したということに何の価値があるでしょうか。全く何の価値もありません!実際は、難所でありました。イスラエル人が南下していた時、彼らは西にエジプトの砂漠、彼らの前方に山、東に紅海、そして背後にエジプトがありました。その章は続いて、パロがいかに彼の考えを変え、「えり抜きの戦車六百と、エジプトのすべての戦車」で彼の部隊を整列させ、イスラエル人を追いかけたかを描写しています。10節には、イスラエル人がパロの軍隊がやって来るのを聞いた時に、彼らは恐れたと述べています。神が導いておられる時に、なぜ私たちは恐れるのですか。イスラエル人は雲と火の柱の論証を持っていたのに、なぜ彼らを導いておられた力に信頼しなかったのでしょうか。その教訓を学びましょう。イスラエル人はひどく狼狽していたので、モーセを非難して11節で言いました。「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。」なぜ私たちは当時と同じように行動するのですか。私たちは導きと恵みについて神の奇跡的印を見ている、それなのに何か悪いことがあると私たちは神を非難します。

それから13節でモーセは、人々に恐れてはならないと言っています。「かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。」しばしば私たちは、主が私たちの足取りを導かれるのを許さないで、私たち自身の衝動で行動するように誘惑されます。しかしながら、主は、主の指導のもとでのみ前進するように私たちに望まれます。こういうわけで、モーセは14節で、キリストとサタンとの間の大争闘のクライマックスに直面する時に、私たち皆が求めるべき強力な約束を与えました。「主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。兄弟姉妹方、主は私たちのために戦って下さり、主は道を開いてくださいます。主は主の教会に勝利を与えられる、しかし私たちは主に信頼しなければならい、私たちは主の前に私たち自身を謙遜にしなければならない、私たちは主に従わなければならい、そして私たちは主の導きに続かなければならないのです。

 そしてその時、神はモーセを通してイスラエルの子らに宣言された同じ命令を、神は今日、神の最後の時代の残りの教会に与えておられます。15節に、主はモーセに言われた、『あなたは、なぜわたしにむかって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って彼らを進み行かせなさい。』」神が前進せよと言われる時、私たちは前進しなければなりません 

 しかし、イスラエルの子らは大きな絵を見ることができなかったのです。彼らは、神が過去に彼らをいかに導かれたかを忘れてしまいました。神が過去に、この再臨運動をいかに導いて来られたかを、そして神は神のみ名の栄光のためと、全宇宙の前に神の救済の計画の弁明のために、いかに将来における勝利に導かれるかを、決して忘れないようにしましょう。私たちは、大争闘の終わりの時代にいます、そして神は「前進せよ」と言われます。

しかし、イスラエルの子らは何をすべきでしたか。彼らの右の砂漠、彼らの前方の山、彼らの左の紅海、そして彼らの背後に接近するエジプト軍によって、彼らは閉じ込められたと感じました。彼らは、神の力に彼らの信頼を置くことに失敗しました。彼らが見ることができたすべては障害でありました。

私は、あなたが今日、どんな障害に直面しているかを知りません。私は、教会が今日、直面しているとあなたが考える障害が何であるかを知りません。それらがどんなものであろうとも、神は、私たちが神の恵みを宣言する時に、私たちの各自のため個人的に、また教会のために、通り抜ける道を持っておられます。

この安息日に、あなたはどんな障害に直面していますか。

1.あなたが直面しているのは:
  聖書の中の世俗主義的疑惑の山?
  神の御言葉の自由主義的解釈の海?
  霊的混乱の軍隊?
  神は、私たちは聖なる国民であり、特殊な民であり、・・・「前進せよ」と言われます。

2.あなたが直面しているのは:
経済的困難の山?
家族または個人との衝突の海?
否定的社会変化の軍事力?

主は言われる、「前進せよ」、あなたは私の選びの民であると。

3.あなたが取り囲まれているのは:
誤った情報の山?
家庭、職場、教会、社会での不安と混乱の海?
情緒的衝突と誤解の軍事力?
神は言われる、あなたの環境にかかわらず「前進せよ」と。神は前進する道を持っておられます。

霊感は私たちに語っています。「神は、み摂理のうちにヘブル人を海に面した山の中に導かれたが、それは、神が彼らを救う力を示し、彼らを圧迫するものの誇りをあからさまにくじくためであった。神は別の方法を用いて彼らを救うこともできたが、彼らの信仰を試み、神に対する彼らの信頼を強めるために、この方法をお選びになった。」(『人類のあけぼの』上巻333ページ)

それは、神が今日も全く同様にされるように、神の力強い奇跡の一つを行った時でありました!出エジプト記19節と20節は、エジプトの軍隊からイスラエル人を守るために神の保護の雲が、彼らの前から彼らの背後に移動したと語っています。イスラエル人にとっては雲は輝く光の洪水であったが、エジプト人にはそれは暗黒の壁でありました。

 21節は、モーセが彼の手を紅海に向かって差し伸べ、神が偉大な紅海の公道を創設されたことを述べています。雲は、イスラエル人が信仰によって紅海を横切って前進して行った間、エジプト人を背後に止めていました。あなたは、百万以上の人々が海の中の乾いた道を歩いている興奮を想像できるでしょうか。子供たちが、あたかも水族館の中にいるかのように、泳いでいる魚を見た時のスリルを想像してみなさい。

再度、『人類のあけぼの』の中に、霊感のペンがその場面を力強い言葉で描写しています。「ここに教えられている驚くべき教訓は、いつの時代にもあてはまるのである。クリスチャンの生涯は、しばしば危険にさらされ、義務を果たすことが困難に思われる。われわれは、前方には滅び、後方には束縛や死が迫っているように考える。それにもかかわらず、神のみ声は明らかに『前進せよ』と語っている。われわれの目が、暗黒を貫いて見ることができなくても、また、冷たい波を足もとに感じても、われわれはこの命令に従わなくてはならない。われわれの前進を妨げる障害物は、ためらったり疑ったりしていては取り去られることはない。」(『人類のあけぼの』上巻334ぺージ)

だから、兄弟姉妹方、あなたが将来に直面するどんなことでもあなたを通り抜けさせることがお出来になる全能の神を見ましょう。神にあるあなたの全的確信と信頼を決して失わないように。「前進せよ」との神の命令に常に従うように。イスラエル人が紅海を通り抜けるという天国が指導した仕事を完成した後に、やっとエジプト人は彼らを追跡することを許されました。それは、すべて神の計画によるものでした。神は、あなたの生涯とこの教会のために計画を持っておられます。この力強い再臨運動の天命を決して疑わないように。それは、神のみ手の中にあります。神は、「神が勝利者である!」という大闘争の完成を知るための預言的教示を、私たちに与えておられます。

2330節は、主が奇跡的に彼らの戦車の車輪を取り外させ、それから完全な勝利のために全軍隊を強大な紅海に呑みこませるという、イスラエル人を追跡したエジプトの軍隊の信じがたい光景を描写しています。私たちが、「かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい」を実践する時に何が起こるかが分かります。31節は、「イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた」と記録しています。

出エジプト記15章は、モーセとイスラエルの子らによる偉大な勝利の歌を記録しています。「・・・彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。」

 再臨運動の兄弟姉妹方、・・・私たちは大いなる旅程にあります。あなたの解放のために神のみを見なさい。主のメッセンジャーは宣言しています。「神がお導きになる道は、荒野や海を通っているかも知れないが、安全な道なのである。」(『人類のあけぼの』上巻334ページ)

 もちろん、神があなたをどんな方向に召そうとも、サタンがあなたを他の道に誘うとも、あなたは確実に安んじることができるのです。神が「前進せよ」と言われる時はいつでも、悪魔はあなたを後退させるようにします。しかし、友よ、私たちが私たちの永遠の家の端に立っている時に、イスラエル人に約束の地へ前進せよ、エジプトへ後退するなと命じられた同じ神は、今日、前進せよ、後退するなとあなたを召しておられます。(出エジプト記1415

前進せよ、後退するな 

前進せよ、後退するな・・・セブンスデー・アドベンチスト教会の中でさえ支持を得ているが、それが単に斬新で流行しているから礼拝や外部への伝道の方法として受容するという誤った考えに屈服しないようにしなさい。私たちは、神の言葉という最高の権威と、私たちがエレンGホワイトの著書において祝福されている勧告によって、すべてのことをテストするために油断のないようにしなければなりません。誤った神学に基づいてあなたに霊的成功を約束する、セブンスデー・アドベンチスト教会以外の、運動やメガチャーチ・センターへ行かないようにしなさい。宣伝されている黙想的祈り(contemplative prayer)、集中的祈り(centering prayer)、そして緊急教会運動(emerging church movementのような神秘主義に根差した非聖書的である霊的規律や霊性形成の方法に近寄らないようにしなさい。セブンスデー・アドベンチスト教会内の、堅固な聖書的原則と大争闘のテーマに基づいた伝道方法とプログラムを提供できる、謙虚な牧師、伝道者、聖書学者、指導者、そして部局指導者を見なさい。

 前進せよ、後退するな!教会礼拝において、キリスト中心、聖書を土台とした礼拝、そして音楽演奏をしなさい。私たちは、礼拝儀式や文化は世界中で変化することを理解している一方で、音楽と礼拝が余りにも感情と経験に焦点を当て過ぎて、神の御言葉への中核的焦点を失わないように、混乱した異教徒の状態に後退しないようにしなさい。すべての礼拝は、それが単純であろうと複雑であろうと、一つのこと、ただ一つのことをするべきです。即ち、キリストを高めて、自己を低くすることです。演奏や自己を高める礼拝方法は、キリスト中心、聖書的接触法の単純で甘美な反映に取り換えられるべきです。それを余り厳密に定義することは不可能ですが、あなたが神の臨在の聖について聖書を読む時に、聖霊はあなたに何が正しく何が間違いであるかを、あなたが知ることを助けてくださるでしょう。

前進せよ、後退するな!天が落ちかかろうとも真理のために立ちなさい。聖書の真理の柱とセブンスデー・アドベンチスト教会の標識である信条から神の言葉を歪曲する熱狂的、または締りのない神学に陥らないようにしなさい。「新しい」神学のあらゆる細かな気まぐれな考え、または私たちの全般的な神学と宣教にほとんど影響を与えない特異な、また不明瞭な概念を注意深く説明するためと称する複雑な年表に、動じないようにしなさい。セブンスデー・アドベンチスト教会の歴史的、聖書的信条は動じることはないでしょう。聖書の土台は時の終わりまで固く立つでしょう。『セレクテッドメッセージ』第1207208ページで私たちに言われていることを聞きなさい。私たちの歴史のこの段階で、私たちの信仰の土台―私たちの働きの始めに祈りによる御言葉の研究と啓示によって敷かれた土台―を崩壊させるために、秘かに強力な方法で人々を誘導して働かせるのは、どんな影響力なのか。・・・私たちは神の戒めを遵守する民である。・・・あらゆる方面の異端が、神の御言葉に関して―特に、天の聖所でのキリストの奉仕、また黙示録14章の天使たちによって与えられているこの最終時代のための天の使命に関して、私たちに影響を与えるため、私たちの考えを曇らすためにもたらされている。セブンスデー・アドベンチストに強く迫っている、真理に基づくあらゆる様式と種類の使命は、一項一項、祈りによる研究によって求められ、また、奇跡を働く主の力によってテストされてきたのである。しかし、私たちが何者であるかを決定し、神が神の御言葉と神の霊の証しを通して重大であるとされてきた標識は、保存されるべきであり、またそれらは保存されるであろう。神は、疑う余地のない権威に基づいている基本的原則に、信仰の力で固く繋がっているように私たちを召しておられる。」(私訳)

前進せよ、後退するな!字義的に読まれ、また理解されているように神の言葉のために固く立ちなさい。もちろん、私たちが、無限で全能の神のみ業を観察する限りのある、堕落した被造物であるということを、私たちは常に謙虚に認めなければなりません。自然と聖書という神の偉大な2冊の本の双方には、私たちが十分に理解しない事柄があります。事実、私たちは、イエスの犠牲は「贖われた者のたちの科学となり歌となる」(『各時代の大争闘』下巻433ページ)であろうと言われています。しかし、主の恵みの中で、主が私たちに明白な言葉で、ただ主がそう言われたので事実として受け取るように与えておられることは、懐疑主義の中に覆い隠されてはなりません。創世記の最初の11章、また聖書の他の部分を比喩的、象徴的と誤解して後退しないようにしなさい。ちょうど今週、私たちはもう一度、圧倒的方法で、セブンスデー・アドベンチスト教会は、近年に起こった、文字通りの、連続的、切れ目のない(1日)24時間の6日間の創造についての聖書の記録を教え、信じるということを確認しました。セブンスデー・アドベンチスト教会は、その土台的教理の中で、その立場と信条を決して変えないでしょう。もし神がこの世界を文字通りの6日間で創造されなかったならば、それではどうして私たちは今日、この第7日目安息日にセブンスデー・アドベンチストとして神を礼拝するのでありましょうか。この教理を誤って理解、または解釈することは、神の御言葉を否定し、聖霊の力で三天使の使命を宣言するために召された、神の残りの教会としてのセブンスデー・アドベンチスト運動の目的そのものを否定することであります。無神論的または有神的進化論に後退しないようにしなさい。神、創造者、救済者への忠誠は、まさに時の終わりに、神の民の際立った特徴としての第7日目安息日の遵守に見られるという預言的理解に前進しなさい。セブンスデー・アドベンチスト教会員たちよ、 あなた方の指導者、牧師、地方教会、教育者、機関、そして行政組織は、聖書の文字通りの理解に基づく信条の最高標準として責任があるのです。聖書を解釈するための正しい方法を私たちが知るのを助ける、解釈学に関する(世界総会)聖書研究所の新しい本のような素晴らしい材料を利用しなさい。

再度、私たちは『セレクテッドメッセージ』第1170ページから学びます。「私たちは聖書を誤って解釈しないように注意しなければならない。神の御言葉の平易な教えは、現実が視界から失われないように、余りにも霊的にされるべきではない。空想力を喜ばせるために、何か余分なものをもたらすような努力で、聖書の中の文章の意味を膨らませ過ぎないようにしなさい。聖書に書いてあるように聖書を理解しなさい。」(私訳)

 ナンシーと私は双方とも神を敬う両親によって育てられたことで主を賛美します。私たちの家庭の双方で、聖書または預言の霊について軽んじる、また否定的な言葉を一言もこれまで聞いたことがありません。私たちは双方とも主を恐れ、また主の御言葉を畏敬するように育てられました。

 数週間前、私は旅行中に書き込みをしていた私の貴重な聖書を紛失しました。それは、友人を失うようなものでした。私はその聖書を宝としていたので、今日それを持っていないことで私は大変悲しい一方、私は神の御言葉を失っていないので主を賛美します。あなた方は神の御言葉を失っていません!あなたはそれをあなたの手の中に、印刷された形、またはiPhoneiPAD、または他の電子装置で持っています。私たちが神の言葉を読み、学ばなければならないという授与された自由を、私たちは決して取り去ってはなりません。エレン・ホワイトは、1909年の世界総会会議で、彼女にとって最後となる公衆の面前において、聖書について感動的に語りました。彼女は話した後、講壇を去りました、それから戻って来て、大きな聖書を掲げ、震える手でそれを会衆の方へ向け、言いました、「兄弟姉妹方、私はあなた方にこの本を推薦します。」私の親愛なるセブンスデー・アドベンチスト教会の兄弟姉妹方、今日、私たちは聖書の土台に固く立たなければなりません。神の「本 (the Book) の民」として、上からの全ての力を持って、聖書を読み、聖書を生活し、聖書を教え、聖書を説教しましょう

 前進せよ、後退するな!聖書をそれ自身の解釈者としましょう。私たちの教会は長い間、聖書理解について、「教訓に教訓、規則に規則」(イザヤ2810訳者注)という聖書にそれ自身を解釈させることを許す、歴史的聖書的または歴史的文法的方法を取って来ています。しかしながら、聖書に対する最も邪悪な攻撃は、聖書を説明するという歴史的批評的方法を信じる人々からのものです。「高等批評学」のこの非聖書的アプローチは、私たちの神学と宣教の命取りの敵です。このアプローチは、聖書学者や個人を、聖書の率直なアプローチの上に置き、その批評家の力量と教育に基づいて、彼または彼女が真理として認めることを決定する不適切な免許を与えるのです。この形のアプローチは、人々に神と神の御言葉を信頼させないようにするので、それに近寄らないようにしなさい。『セレクテッドメッセージ』11718ページは、この問題に対して直接に語っています。「人々が、彼らの限りある判断の中で、どこが霊感を受けてどこがそうでないかを決めるために、聖書を試すことが必要だと悟る時には、イエスが私たちを導いて来られたよりも、もっと良い道をイエスに示すために、彼らはイエスの前に出て来たのである。・・・頭や手を聖書を批判することに従事させないようにしよう。・・・聖書が書いているようにあなたの聖書を固守し、そして聖書の有効性に関してのあなたの批評を止め、御言葉に従い、そしてあなたが失われた者の一人にならないようにしなさい。」(私訳)

前進せよ、後退するな!預言の霊を、セブンスデー・アドベンチスト教会に与えられた、ただ過去のためだけでなく、さらに将来のためにもっと重要な最大の賜物の一つとして受け入れなさい。聖書が真理の至高の権威と最終的判定者として私たちの判断の中で最高支配者である一方、預言の霊は、聖書真理の私たちの適用を助けるために明白で、霊に満ちた勧告を提供します。それは、その教会の宣教をいかに遂行するかを、教会に教えるために天から送られた案内人です。それは、聖書の信頼できる神学的解説者です。預言の霊は読まれ、信じられ、適用され、そして奨励されるべきです。それは、人々の頭を打つための「棍棒」として使用されるべきではなく、この地上歴史の最終時代の中にある神の教会を指導するための驚くべき祝福として見なされ、また使われるべきです。預言の霊について時代遅れ、古めかしいというものはないという私の確信を反復します。それは、今日の、そしてキリストが来臨されるまでのものです。

前進せよ

神の残りの教会の会員の方々、私たちが時の終わりに来ている時に、神は私たちに「前進せよ」と語っておられます。キリストとキリストの義を掲げ、また神の恵みを宣言しながら前進せよ。三天使の使命を提示しながら前進せよ。リバイバルと改革を求めながら前進せよ。聖書が書いているように聖書に従いながら前進せよ。預言の霊の勧告を読み、それに従いながら前進せよ。救いの福音を、またイエス・キリストの間もなくの再臨を世界に宣言しながら前進せよ。神の恵みは、人々を全世界へ「前進せよ」と導いておられます。私たちは、始終、公衆伝道の字幕を掲げ続けなければなりません。神の恵みと三天使の使命の宣言は、どこででも人々を変えています。聖霊は、あなたの言葉、また伝道的証し、・・・神の恵みについてのあなたの宣言を通して、この尊い再臨使命を聞く人々の心に働いています。「統合伝道」が全く生活の一部になっている偉大な南アメリカ支部を含む多くの地域が実践しているように、私たちは伝道を生活のすべての分野に組み入れる必要があります。この一つの例が、中央アジア支部から私たちに届いています。数年前、バシリはモルドバで警察官でした。彼は聖書真理と、この尊い再臨使命について確信するに至り、セブンスデー・アドベンチストとしてバプテスマを受けることを望みました。彼がこの新しく見出した信仰について彼の家族に話した時に、彼の父と母は彼を勘当すると言い、彼の兄弟は彼をもう兄弟と考えないと言い、彼の妻・ガリナは彼を離婚すると言い、そして彼の警察署長は彼に安息日の休みを決して与えないと言いました。

バシリは、単純に彼の聖書を開き聖句を通して、神が彼に祈りの直接の答えを与えられるように神と祈りながら苦闘しました。彼はどうすべきなのでしょうか。彼は聖書を開きました、そして神の恵みによって、彼の眼は、いかに家族が私たちの敵になり得るか、そして、もしあなたがキリストよりも父または母を愛するならば、あなたはキリストにとって価値がないとイエスが説明しておられる、マタイ103538の言葉に捉えられました。バシリは、イエスの十字架を取り、イエスに従うために、イエスの命令に留意するように導かれていると感じました。       
 バシリは神に感謝しました。彼は決心をしました。彼はセブンスデー・アドベンチスト教会へ行き、バプテスマを受けました。彼が妻に彼はバプテスマを受けたことを話した時、彼女は既に離婚証書を用意していました。バシリは扇動されないで、彼は彼女を愛していると話しました。
 彼女の反対を彼らが支持してくれるだろうと信じて、ガリナは彼のバプテスマの知らせを彼の家族に伝えるためにバシリと同行しました。しかし彼女が驚いたことに、バシリの両親と兄弟は、反対でなく彼の決心を受け入れました。次にバシリは、彼がバプテスマを受けたことを説明するため、辞表の手紙を持って彼の上司の警察官を訪ねました。その警官は言いました、「それは何だ?引っ込めて、事態を考えるために1週間の休みを取れ。」1週間後、バシリは戻って来て、再び彼の辞表を出しました。それを受理する代わりに、署長はバシリが安息日の葛藤がないように彼を昇進させました。
 ほぼこの時、バシリの妻・ガリナは、彼女が現金出納係であった彼女の仕事で深刻な問題を起こしました。その日の合計が合わなく、その会社は彼女がその金額を負担するように言ったのです。失望の中で彼女はバシリに彼女のためにお祈りを頼み、彼は彼女にその問題について彼と一緒にお祈りするように招きました。翌日、ガリナは、正確に同じ金額の経理上の間違いを見つけたのです。バシリは、彼らの祈りに答えられた神に彼女の心を捧げるように招きましたが、彼女は拒否しました。
 後に、ガリナの母が癌になり、バシリとガリナは彼女を訪問して彼女のために祈りました。神の介入により、彼女は癒されたのです!ガリナの心は柔らかになり、彼女は真っ直ぐにセブンスデー・アドベンチスト教会へ行き、バプテスマを受けました。バシリ・ガラスクイクは今、モルドバ・ユニオンの会計であることを今日あなた方に告げることができ、私は大変嬉しいです。そして、神の恵みによりバシリとガリナは、今日私たちと共に出席しているのです。(お二人の方、)恐れ入りますがお立ち下さいますか。彼らは、聖霊の力による何千という改心の経験を代表しています。神の恵みの救いの力のゆえに神を賛美しよう!

このジョージアドームにいる、また世界中の私の兄弟姉妹方、聖霊の力によって神の恵みと三天使の使命を宣言しよう!私たちは美しく多様化された教会であるが、キリストとこの尊い聖書のメッセージにあって一致しています。私たちは聖霊と私たちの土台である聖書の信条で一致して前進するので、私たちは神の恵みを宣言している地球のあらゆる地域から成る国際家族であります。
 世界へ伝えるべき最終時代の再臨運動にとって何という尊い使命でしょうか!神への真の、そして聖書的礼拝に人々を招くための第一、第二、第三天使の使命の宣言。何という創造者!救済者!大祭司!仲保者!友!何という神!

イエスは間もなくお出でになられます!!間もなく私たちは東の空に、人の握りこぶしの半分くらいの大きさの小さな、黒い雲を見るでしょう。それはだんだんと大きくなり、まただんだんと明るくなるでしょう。全天が地球歴史のこのクライマックスのために降りて来るでしょう。すべての人々は、天の奇跡によって同時にイエスを見るでしょう。そして、私たちが待ち望んでいたお方、みすぼらしい裂かれた子羊ではなく、大祭司ではなく、王の王また主の主、イエス・キリストである私たちの救済者が、何百万という天使の真ん中に坐しておられるでしょう。私たちは見上げて言うでしょう、「これが私たちが待ち望んでいた神である。」キリストは下を見て言われるでしょう、「よくやった良き忠実なしもべよ、あなたの主の喜びに入りなさい」と、そして私たちは主と共に永遠に住むための家に行くために、空中で主に会うため挙げられるでしょう。・・・再臨旅程の美しい終着!
 もし、主の素晴らしい愛と救いの計画―主の勝利を収めた恵み―があなたの心を感動させたならば、そして、あなたが主の恵みを宣言するために家庭へ戻っていく時に、あなたが主とセブンスデー・アドベンチスト宣教にあなたの献身を新たにしたいならば、あなたがリバイバルと改革をあなたの生活と教会の中で望むならば、あなたが神の恵みを宣言する時に聖霊と後の雨の臨在を望むならば、あなたが三天使の使命を他者に宣言することを望むならば、そして、あなたが主の血、功績、憐みと恵みによって裁きに直面するために、あなたの生活と私的証言を私たちの全能の贖い主、大祭司、来たるべき王の御手の中に置きたいと願うならば、・・・もしあなたが、地球歴史のこの最終時代に神の恵みを宣言するために、主があなたの生活を支配し、あなたを助けることを求め、謙虚に願うならば、今ここで静かに起立して、神に献身する間立っていてください。 私は、あなたがキリストの驚くべき恵みをあなたの人生に受け入れること、キリストとこの偉大な再臨運動へのあなたの献身を新たにすること、神の恵みを宣言すること、そしてこの教会が「前進する」のを助けるように主に望むこと、をあなたに要請します。私たちのテーマソング、そして終祷の前に、共に祈って神に求めましょう・・・私はあなた方に起立したままで、今、あなたの隣の人、または後ろの人と向き合って、・・・そして心から、単純な祈り・・・神の恵みと三天使の使命を宣言しながら私たちが「前進する」時に、聖霊が神の残りの教会を導くことがお出来になるように、リバイバルと改革を主に嘆願するように要請します。どうぞ共に祈ってください、起立したままでいてください。(翻訳:新名忠臣)