その後も、第2陣PMM宣教師の韓国への帰国が続いています。2010年2月14日の午後2時30分の便で、日本の愛媛県松山市で開拓宣教をしてきたイ・ウォンホ牧師家族3人がプサン空港に到着しました。同牧師の長女と次女は、韓国の学校に慣れるためにすでに昨年暮れに帰国しています。北アジア太平洋支部(NSD)からは、誰も出迎えに行くことができず、誠に申し訳ありませんでした。同牧師家族は、松山で5年間、訪問伝道を中心に、講演会や料理教室等を含め、多彩な活動を忠実に行ってきました。(写真1)同牧師の去った後は、姉妹教会である今治教会の管轄下に入りますが、松山聖書研究会の信徒が中心になって活動を続けていきます。幸いにも、これまでと同じビル内の賃貸事務所を集会場所として確保できました。これからは、経済的にも自立していかなければならない同聖書研究会の上に、神様の豊かなお導きとお助けをお祈りするものです。2010年2月16日午後8時に、日本の沖縄県の豊見城市で開拓宣教に当たっていたナム・ヒョンウ牧師家族4人がフェリーで釜山港へ元気に戻って来ました。出迎えに駆け付けたのは、同牧師の家族の他に、NSD宣教部長・権政行牧師、現在休暇帰国中のやはり沖縄教区の名瀬集会所で宣教に従事しているイ・ソンフ牧師家族4人、そして昨年すでに沖縄の読谷開拓宣教から帰国しているキム・ガンソン牧師家族5人でありました。(写真2、3)日本語の勉強期間を含めて6年間を日本で過ごしたナム・ヒョンウ牧師が、達者な日本語を話すようになっていることは、権政行牧師とのインタビューによってもよくわかります。これまでの宣教が実を結び、これからの可能性も見えていましたので、本当は、もっと沖縄で奉仕したかったのではないかと思います。豊見城聖書研究会の信徒は、おおむね那覇教会へ合流しています。さて、翌日の2月17日午前8時30分に、やはり釜山港に日本の神奈川県の川崎で開拓宣教をしていたイ・ジンファン牧師夫妻と長女が無事に帰国しました。(写真4)長男は日本の広島三育高校へ進学する関係で、そのまま日本に残っており帰国はしませんでした。権政行牧師とキム・ガンソン牧師家族が出迎えました。(写真5)イ・ジンファン牧師夫妻は早速にインタビューに応じていましたが、同牧師家族は第1陣でしたので、日本に7年間滞在したことになり、これまでのPMM宣教師の中では一番長く同一の宣教地で働いたことになります。開拓宣教から始めましたが、現在は川崎集会所となっており、近い将来に教会組織の可能性があります。そのことを思います時に、帰国の喜びと共に道半ばという同牧師家族の心中を察し、同情を禁じ得ないものがあります。なお、川崎集会所は、姉妹教会の亀甲山教会の協力を得て、今後とも集会所として活動を続けるとのことで、同牧師家族も慰められているに違いありません。また、2月17日午後3時過ぎに仁川空港へ、台湾の苗栗教会を開拓宣教していたチェ・カンビョン牧師家族4人が帰国しました。あいにく、空港では再会できませんでしたが、無事に到着したことを知り感謝しております。なお、苗栗教会へは中国語研修を終えた第7陣PMM宣教師が赴任しますので、チェ・カンビョン牧師家族も安心しているに違いありません。(写真6)今後の同牧師の母国での活躍を期待しております。

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