ゴールデンエンジェルズとともに、本当に幸せな時間を過ごしています。

もうゴールデンエンジェルズが山形に来たのも4日になりました。

ゴールデンエンジェルズは県立病院、デーサービスセンター、教会に来たいのに来れない教会員、そしてショッピングセンターロビーなど山形市の隅々まで回し、賛美で神様のみ姿を現しています。

賛美をしても聞く人がいない時には、やる気がなくなるだろうに笑顔を忘れずに歌だけじゃなくてダンスまでお見えするセンス。(ゴールデンエンジェルズ曰く...~かわいらしく見てください)

まさに壁に向かって歌うほうがもっといいじゃないかという思いもしたのではないだろうか。壁に向かって歌えば帰ってくるエコーくらいは感じられるでしょう。

ゴールデンエンジェルズと一緒に歩きまわりながら山形に来たばかりの時を思い出してみました。

その時は何をすればいいか分からなかったのでしばらくの間神様からいただいたタラントンを使ってみたことがありました。

病院や、福祉施設に訪ねて賛美と歌を歌うのです。少しでもSDA山形教会をアッピールしたかったからです。

一時間の間さびしがる人々の前で賛美する時、涙を流しながら聴いている人もいるし、全然反応のないグループもいました。歌う立場からみるとまさに壁に向かって歌ったほうがましだという思いがしました。

しかし反応があるかどうかは私にとっては何の意味もありませんでした。

そのようなことが小さな種まきになると思ったからです。

今は多くのところで私の顔が知られ、また私の教会も覚えてくれるようになったからです。

 

日本での宣教の長所の一つは、アドベンチストの牧師ですよと紹介しても、韓国とは違ってただクリスチャンとして受け入れられることです。日本の人々はカトリックとポロテスタントとをあまり区別しない傾向があるようです。少なくとも私が住んでいるところではそうです。ただイエス様を信じているがいないかで分けられるようです。牧師ですよと紹介しても神父さんと呼ばれる場合もあります。そしてカトリックとプロテスタントは何が違いますかと聞かれる時もあります。

それでこんなにあちらこちらに歩きまわりながらでも多くの人々と交わり、空中に呼ばわる感じを受けても奉仕する姿は良いことだと思います。実にある日キリスト教について関心をもったとき、カトリックか、長老教会か、メソジストか、SDAなのかはそんなに重要ではなくて、自身と少しでも関係のある教会を探してくるでしょう。このような点は日本が韓国より宣教的に有利な事ではないかと思います。韓国の人々のようなアドベンチストに対する偏見はないでしょう。ただクリスチャンなのかそうでないかだけで区別しますね。

 

山形教会で3年半働かせていただきました。いまだ日本について、山形について、うちの教会員についてよく分からないところがたくさんあります。

ところがなにかはっきり分からないが、感じられることがあります。初めごろとはちょっと違うということです。

空しく空中に呼ばわる感じよりその叫び声がむこうどこかに、見えない神様が建ててくださった大きな壁にぶっつかり、私の胸をまた響かせてくれる感じです。

神様は私を愛して下さり、山形教会を愛し、教会員たちを愛し、日本人を愛します。

海のただなかになげされた石が波を発生させるように私たち宣教師たちが悩んだり、葛藤しながら投げたその石が、聖霊の力にあずかって大きな波となって帰ってくるでしょう。そのさわやかな大きい波を心に描きながら、今日も私は石を海の中に投げたいのです。